2019年9月26日に洗足池ほとりにある勝海舟記念館を訪れた。ここは9月7日に開いたばかりだ。
区立の施設なので、ホームページがある。正式名称は大田区立勝海舟記念館だ。
勝海舟と洗足との関係はちょっと意外だが、役目で出かけたときに洗足池のそばを通ったことがあって、この場所が気に入り、土地を購入して別荘を建てた、ということだ。現在は海舟の墓がある。別荘は火事に遭ってしまったが、その敷地は残っている。大部分は中学校になっている。
記念館の建物は元々は清明文庫の建物だ。清明文庫は日蓮宗系の修養団体だったそうだ。建物についての説明は例えば財団法人清明会と清明文庫に簡明に記されている。
清明文庫は10年ほど活動した後に解散し、蔵書は同じ日蓮宗の縁で近くにあった立正学園に移管されている。大戦中に同学園が空襲に遭った際に焼けたりしたものもあったようだ。焼け残った中には海舟自筆の資料もあり、貴重なものと言える。現在では、それらの海舟自筆の資料を含めて文教大学越谷図書館に置かれている。この資料についてはYouTubeの文教大学越谷図書館[コレクション1.漢籍・清明文庫]に紹介されている。また所蔵の清明文庫資料の目録が作成されているので、同図書館に問い合わせてみてもいいかもしれない。
収蔵品の多くは勝家が伝えてきたものなので、由緒正しいものだ。面白かったのは、海舟自身がデザインした印判がたくさん展示されていたことだ。こういう趣味があるとは知らなかった。
オランダ人からもらった海軍軍人の帽子などがあったり、持ち歩いていた硯と筆があったりして、よくぞ現代まで伝えてきたものだと感心した。
展示は、咸臨丸でのアメリカ行きや江戸開城を大きく取り扱った、ある意味では平凡な展示であった。私は海舟の本領は実はそういう所ではなく、明治になってからの、徳川家の、特に無位無冠だった徳川慶喜家の経営に尽力したこと、旧幕臣への起業の援助という部分にあったと考えているのだが、展示にはあまり反映されていなかったと思う。
海舟は維新後30年生き、1899年というもうちょっとで20世紀という年に亡くなっている(あのヨハン・シュトラウス2世と同じ年に亡くなっているのが、おもしろい)。これは、徳川慶喜と明治天皇が皇居で(慶喜の旧宅でもある)会見してから後という時期になる。この会見は、2人が会うことによって徳川家と天皇家が維新の際のわだかまりを解消したという儀式である。これを見届けて海舟は世を去ったわけだ。この間30年間の、徳川家への尽力と旧幕臣たちが生活が立ちゆくようにとできるだけのことをした海舟の行動は、海舟自身が話題にしていないためあまり知られていないようだ。海舟の真価は徳川幕府が倒れた後に発揮されている、ともいえよう。
そういう観点からすると、江戸開城を海舟の経歴のピークとして展示を行っているのは物足りない感じもする。まぁ、その土地に縁のある著名人の顕彰のための施設なので、それもやむを得ないかとも思うのだが。
頻度はよくわからないのだが、展示替えがあるようなので、時々行ってみると違う展示品が見られる。ささやかだがミュージアムショップもあるので、海舟の写真を使ったファイルや図録を買ったりするのもいいかもしれない。twitterもやっている。@katsu_infoが公式アカウントだ。記念館からのお知らせが届くのでフォローするのがおすすめだ。
個人的なことになるが、亡き妻も海舟が好きで、生前最後に読んでいた本は『氷川清話』だった。海舟の記念館ができることを教えると大喜びし、「是非寄付をしよう」と言い出した。それで二人で相談して、寄付をした。寄付が終わったことを話すと、開館して2人で出かけるのを楽しみにしていた。残念ながら、開館前に妻は旅立ってしまった。もし生きていれば、二人で見に行けたのに、と思っている。それはさておき、2人で相談してやった最後の行動が勝海舟記念館への寄付だったことはこの記念館との2人の思い出の記念になると感じている。
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