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2023-07-30

三条実美 内藤一成著 中公新書2528 中央公論新社 2019年刊

三条実美は有名な割には影の薄い人という印象だった。あまり評価も高くないように思われる。それでもなぜ明治新政府のトップでああり続けたのかという疑問は持っていた。この本を読んで三条実美の存在感がわかったように思う。

過激な尊攘派としての面は有名だが、それ以後の歩みははっきりしない。このはっきりしないところが三条実美の特徴で自ら動かず周りを動かしていた、というのが影の薄い理由だったのかもしれない。

変な例えだが「なんとなく上に置いて座りのいい人」という感じもありそうだ。ただ政治家として積極的に業績を求めたことはなさそうで、その点がよく出たのが太政官制から内閣制に変わったときであろうか。自らの職責が無くなってしまう改革を受け入れすんなりと内閣制に移行できたのは三条が太政大臣の座を自ら降りていったことにも理由はありそうだ。

何をしていたのかはよくわからないが組織にとっては重要な人がいる、という典型の人物のようだ。こういう人はもういなくなってしまったのだろうか、とふと思った。

2023-07-23

黒い海 井澤理恵著 講談社 2022年刊

2008年6月24日に起きた漁船の転覆事故を追った本だ。著者は事故後年月が経ってから偶然のことから事故のことを知り「何が起きたのか」を粘り強く追いかけていく。本書はこの過程をしるしている。

著者のこのについての疑問は「生還者の語る事故の様子と事故の報告書が記す事故の様子があまりにも違いすぎる」ことから発している。この疑問への解答を求めての取材活動について記している。

手蔓をたどっての取材活動の様子の描写には迫力がある。犠牲者、関係者への深い共感を基調とした落ち着いた論調には著者の執念と事故を隠蔽するかのような報告書作成者への怒りも感じられる。

読みにくい本かなと思っていたのだが著者にひきずられるように最後まで読んでしまった。

2023-07-16

歴史の本棚 加藤陽子著 毎日新聞出版 2022年刊

日本近現代史専攻の著者の書評集だ。対象となった本は歴史学の本に限らない。どうやら書評担当者として書いたものを集めたもののようだ。

著者の専門領域同様、透徹した視点が色々な分野の本に対しても発揮されている。著者の「本好きさ」が微笑ましくなってくる。

また著者の作品や作者との向き合い方が読む者を作者や作品に直に触れようと導いているようにも思われる。こういう点は読書好きにとっては堪らない魅力となるだろう。

目次を見ていると魅力的は本が並んでいる。著者の後を追いかけて自分も読んでみたくなる本が何冊もある。読書案内としても素晴らしい。

2023-07-13

奇跡のフォント 高田裕美著 時事通信社 2023年刊

副署名が二つある。一つは「教科書が読めない子どもを知って」。もう一つは「UDデジタル教科書体開発物語」だ。著者はフォントのデザイナーであって、教科書が読めない子どもと接触があったわけではない。それがUDフォントが販売されるようになって自社でもUDフォントを作ろうとなった時にUDフォントを必要とする人たちとして文字を読むことが困難な人が浮かんできたことが教育現場で必要とされるフォントに行き着きそれが教科書に適したデザインのフォント制作に結びついていった。この本はその過程を記している。

色々な人との出会いの結果、それまで教科書が読みにくかった子どもにも教科の学習がしやすくなるフォントの完成に至る筋道は単なる開発物語ではなく学習しやすい環境の提供という話にもなっている。

そういう点では単なる成功物語ではない。印象的なのは「UDデジタル教科書体を使えば生徒・児童の学習しにくさが解決できるわけではない」という著者の言葉だ。文字の読みにくさの原因は一つではないので一つのフォントを使えば全てが片付くわけではないというわけだ。この懐の深さが素晴らしいと思った。

文字の読みにくさという現象についての深い理解を持つ著者の、この現象へのわかりやすい説明も印象的だった。

2023-07-07

家康徹底解読 堀新、井上泰至編 文学通信 2023年刊

なんだが怪しげな感じもする書名なのだが中身は全く違っていた。科学研究費補助金の研究成果の一部を書籍化したものなので最前線の研究成果を読めることになるわけだ。ちょっと軽めの書名に迷わされてしまったことになる。

各章は徳川家康のいろいろな面について実像編と虚像編に分けて記している。例えば第1章は「松平氏の出自」という章立てになっていて確実な資料から辿れる松平氏(徳川氏)についての記述が実像編で色々な物語等に記されている松平氏についての記述をしていくのが虚像編となっている。「虚像」というのは言い過ぎな感じもするがまぁ、実際とは違う姿を指すのであれば間違いとも言い切れない。

全体的には徳川家康について歴史学、文学、美術の各方面からの論文が集まっていて実像と虚像との差、違いがわかるようになっている。

他分野の研究者が一堂に会しているので同じテーマであっても扱い方が違い、それが一つのことへの多元的なアプローチを示している。そういう点では刺激にあふれた本だ。

細かく見れば論者によって見解の相違が明らかになっている部分もあるが、そこを見るのではなくてアプローチの違いで結論が違ってくる過程を見ていく方がいいようだ。

同じような考え方で織田信長(『信長徹底解読』)と豊臣秀吉(『秀吉の虚像と実像』)も取り上げている。続いて読みたくなるシリーズだ。

2023-07-03

江戸のキャリアウーマン 柳谷慶子著 歴史文化ライブラリー 568 吉川弘文館 2023年刊

副署名の「奥女中の仕事・出世・老後」が内容をよく示している。

従来大名家の奥向きのことは徳川家を含めて「不明」とされていた。しかし近年になって残された資料を丹念にみていくことによってその実態の研究が進んできた。この本はその成果の一つだ。

奥女中の出自は色々あるが、自ら習得した技能、知識によってより重い役を背負っていくようなシステムが描かれている。「老後」まであるのは現代の老後保障と結びついているような気がしてくる。

もちろん、登場しているの上昇できる人たちが主体となっている。いわばホワイトカラーの人たちだ。奥にはこのほかにブルーカラーというべき人たちがいるのだが、その人たちへの言及がなかったのは資料的な制約によるものなのかもしれない。そういう点では奥の全体が示されているとは言えない。

しかし奥のシステムが明快に示されたことはそれだけでも意味のあることだと思う。さらに深めたいのであれば、充実した参考文献を辿ってほしい。

2023-07-01

唐 森部豊著 中公新書 2742 中央公論新社 2323年刊

「東ユーラシアの大帝国」という副署名が内容をよく表している。最初にこの副署名を見たときにはその意味がわからなかった。それは唐は中国の王朝だと思っていたからだ。ところが著者によると唐は征服王朝といってもいいくらい中国周辺も民族が参加しているのだそうだ。

そういえば唐の領土はシルクロードをすっぽり包んでいたこともあるのだから今で言う「多民族国家」だったのかもしれない。

騎馬遊牧民の姿が普通である唐はまさしくユーラシアの国だったのかもしれない。

もっと西寄りになるとウマイヤ朝、アッパース朝やチムール帝国、オスマントルコと広大な王朝が浮かんでくる。ヨーロッパ近くにはビザンツ帝国やハプスブルグ帝国も見えてくる。多くの民族が住んでいるのがユーラシアなので広大な領土を持つと嫌でも多民族国家になってしまうのがユーラシアの特徴なのだろう。

著者の視点が新鮮でただの中国史の本ではなくなっているのが素晴らしい。

それに加えて、税の取り方についても詳しく記されている。唐の税制が中心となる記述なのだが今までよく知らなかったことなのでありがたかった。

379ページの新書なのだが読み進めやすい。得難い本だ。