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2020-04-21

ヨッフムの東京でのライブ録音を聞いて

ヨッフムという指揮者はなんとなく気になるのだが、演奏に感心することがあまりない。聞いている間はいいのだが、聞き終わるとあまり印象が残らなかったりする。相性が悪いのかと思っている。

最近、1970年代のNHKのライブ録音がCD化された。コンセルトヘボウとの来日の際の録音だ。「ヨッフム&コンセルトヘボウ/1968年東京ライヴ『運命』『田園』」と題されている。ライブ録音ならばスタジオ録音とは違った演奏が聞けると思い、早速入手した。

ヨッフムは基本的には、セッションでもライブでも変わらない人のようだ。オーケストラをきちんとコントロールして、バランスの取れた演奏を聞かせるのは同じだった。ただ雰囲気として、ちょっと勢いがついているようにも思えた。やはり人がいるホールでの演奏では熱が入るのだなと思った。

オーケストラは、当時指揮をしていたコンセルトヘボウだけあってなかなか充実した音を聞かせる。現在よりも、各地のオーケストラが独自の味わいを持っていた頃なので、じっくりと聞かせる指揮でコンセルトヘボウの重厚なサウンドが楽しめたのは何よりだった。

改めて思ったのは、クラシックの演奏は一面ではエンターテインメントなので、楽しめる要素、安心できる要素も必要なのではないか、ということだ。ヨッフムの安定した音楽は、ある面では食い足りなさを感じたりするが、ゆったりと流れに任せて音楽を聞くときには満足感が高いのだと思った。こういう音楽があってもいいし、その時の気分に合う演奏を聞くのもいい聞き方だと思う。肩肘張らずに、音楽を生活の一部として聞いていこうという考えに立つならば、ヨッフムのような演奏は十分に価値があると思った。

「ヨッフムの演奏は生温い」という評価はよく聞いた。ある面では中庸を得た演奏なので、食い足りなさはあるかもしれない。しかしその音楽にどっぷり浸かる感じで聞くとヨッフムの良さがわかるようにも思う。ちょっと大袈裟だが、「ヨッフムを再発見した」と言えそうなライブ録音だった。

2020-04-11

ハイティンク&ウィーンフィルのブルックナー

ハイティンク指揮のウィーンフィルにブルックナーの演奏を聴いた。中途半端にしか録音が残っていない。録音されたのは第3番、第4番、第5番、第8番とテ・デウムだ。なんでも、全集を録音する予定だったが、レコード会社の都合で中止になったのだそうだ。

テ・デウムが録音されていることからも、全集にしようという意図があったことが分かる。なんとも残念なことだ。もし完成していれば、ハイティンクにとっては2番目の全集になったはず。残された録音が素晴らしいだけに、余計残念だ。

ハイティンクはオーケストラをゆっくりの演奏させてその持ち味を引出し、そこに自分の考えを重ねていくスタイルを取っている。そのため、当時のウィーンフィルの音が満喫できる。そのためかどうか、以前は「凡庸な指揮者」という評価が多かったように思う。

私はそういう風には思っていなかった。確か、ハイティンクの2番目のベートーヴェンの交響曲全集の中の6番をFM放送で聞いたとき、みずみずしい演奏にびっくりし、それから注目するようになったからだ。オーケストラはコンセルトヘボウだった。今聞いてみても素晴らしい演奏だと思うのだが、何で評価が低かったのが不思議だ。ゆったりとした表現が物足りなく思われたのだろうか、と推測してはいる。

インターネットが普及し、色々な人が書くようになってからはハイティンクを評価する人が多く見られ、嬉しくなったことを覚えている。

音楽に決まった聴き方は無いとは思うが、ブルックナーは特別で、こういう演奏でなくてはいけない、と言う人が多い。独特の魅力のある音楽なので、ブルックナーの交響曲についてそういう風に言う気持ちは分からなくはないが、色々な演奏が合っていいようにも思う。私はそれぞれ特定の演奏だけがいいと思ったことはない。ただ、ゆったり聞ければいいと思っているので、そのあたりで好みが出ているのかもしれない。

ブルックナーの交響曲については以前のコンセルトヘボウの剛直な音もいいと思うのだが、芯があって流麗なウィーンフィルの音も捨てがたい。両方聞けるというのは素晴らしいことだ。

雑誌の記事でハイティンク指揮のウィーンフィルのブルックナーの交響曲があるのを知り、早速購入した。なるほど、美麗で、すっきりした音楽で、なるほどハイティンクらしいと思った。

ハイティンクもさすがに引退したようだが、長い期間にわたって緩みのない演奏を聴かせてきたのは珍しいことかもしれない。多くの録音のある指揮者で、手元にあるのはそのほんの一部になる。しかし大事にこれからも聞いていきたいと思っている。

2020-04-10

Herbin HB-PEN06

手帳用にちょうどいい感じの小さめの万年筆だ。特徴はスケルトンで中が見えること、かな。同じデザインでローラーボールもあるので、間違えそうだ。案内はここにある。

万年筆特有の動作かもしれないが、キャップを外して、胴体の後ろに差し込んで、やっと書き始めると言うことになる。面倒と言えば面倒なのだが、書き心地には替えられない手順でもある。

考えてみれば、これまで手帳にはいつもボールペンで書いていた。万年筆で手帳に書くのは初めてなので、いろいろと使い勝手が違い戸惑っているのかもしれない。

もう一つ気がついたのは、ボールペンで手帳に書いているときは二色を使って書いていたのだが、一色でも支障がないことだ。これは意外な発見で、二色は便利だから必要だ、と思い込んでいただけなのかもしれない。

赤インクを入れた万年筆も持っているのだが、そういえば持ち歩いていない。二本の万年筆を持ち替えて使うと言うことに気が付かなかった。意外な盲点だった。もっとも、ボールペンは一本で多色が使えるが万年筆はそうはいかない。その辺が問題点なのかもしれない。

それはともかく、使いやすい万年筆だ。中の見える軸なので、革の手帳のペンホルダーに入れていると多少貫禄に欠ける気もする。それでも、見た目の感じと使いやすさで気に入っている。